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【原体験】すべてを失いかけて学んだのは、妻を大切にすることでした

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こんにちは、だいといいます。

興味をもっていただき、ありがとうございます。

僕は今、1年間の育児休業取得中で、愛する妻と息子の3人で暮らしています。

今でこそ、世界で一番幸せじゃないかと自負するくらい家庭円満なのですが、
一時は離婚一歩手前の崖っぷち状態でした。

でも、たった1つのある想いを心に刻んだことで、見事に乗り越えることができました。

それは、「妻を大切にすること」

少し抽象度をあげると、「大切なひとを大切にすること」

幸せを自分の外側に探して迷子になっていた僕が、
自分の内側にある幸せに気づいたら、それが妻でした。

今回、今の僕をカタチ作っている想いの結晶、すなわち、
僕たち夫婦が導きだした1つの愛の形について、
そこに至るまでのプロセスと思考を、
僕たち夫婦のちょっとセンシティブな出来事も含め、ありのままに書きました。

あの出来事なしでは今の僕は語れないから。

恋に悩む恋人たち、
未来にワクワクしている新婚さんたち、
結婚当時のドキドキを忘れてしまった夫婦たち、
あれ?愛ってなんだっけ?と感じているすべての人に届いてほしい。

これは僕の原体験の物語で、
少しでもだいという人間と、僕が実現したい世界を知ってもらえたら嬉しいです。

ちょっと長くなりますので、お時間あるときにぼちぼちどうぞ。

まず初めに僕のプロフィール(ざっと)。

  • 大阪の5人家族の長男として誕生。
  • 人が大好きで、みんな笑っているという状態が好きな子供時代。
  • 小中高大➜海外留学と環境が変わるにつれて、みえる世界が広がったことから、
    自分の在り方1つで人生は無限大だと信じているポジティブシンカー。
  • 大学で最愛の妻と出会い、その後、結婚。結婚の理由は、もう人生をどれだけ旅しても
    見つけられないような最高のパートナーをみつけたと心が感じたから。

    一生どころか、二生でも三生でも、いやいや永遠にこの人と一緒にいたいと思ってます。
  • 待望の子供も生まれ、育休を1年とって、今しかできないことを大切に、夫婦で笑いあいながら子育て中。
  • 2020年の目標は、毎月1冊以上、家族アルバムをつくること。

今では順風満帆のように見えるけれど、僕たち夫婦がここまで来るのは遠い道のりでした。
すべては僕自身の未熟ゆえ。

でも妻のおかげで、内面的にも人間的にもだいぶ成長することができたと思います。

圧倒的感謝を妻にささげたい。

僕たち夫婦の出会いから結婚まで。山あり谷あり

妻との最初の出会いは大学時代。

その後、社会人になって付き合うまで、延べ10回以上振り、
(よく諦めないでいてくれたと今では大感謝)

職場の人間関係で鬱一歩手前までいった僕を優しく包み込んでくれ、
(妻の前でがちで号泣した)

親の大反対を乗り越え、無事ゴールイン(結婚)したのが僕たちだった。

そんな妻はというと、

昔からちょっとしたことで直筆の手紙をくれ、
サプライズで手作りのお菓子を作ってくれ、
しょっちゅう栄養を考えた手料理(一汁三菜)を作ってくれるような、
ギブの精神あふれる優しい女性。

そんな妻に対して僕はというと、
僕が側にいるという事実が一番の愛情表現という考えのもと、ただ一緒にいるだけのテイクオンリーの男。

もちろん相手のことを大切に想っているのは今も昔も一緒なんだけど、当時の僕は行動で表現するのがとっても苦手だった。だから結果的に僕は、ほぼすべて妻のギブに甘んじて生きていたことになる。(今振り返っても、黒歴史)

きっかけは1通のメール

転機が訪れたのは新婚早々のこと。

結婚して間もないころに、仲の良かった会社の同期が退職するとの連絡があった。

久しぶりに届いたメールには、「これからは個人事業主として自分の人生を生きていきます」と書いていた。

会社をやめ、個人で生きる・・・?

東証1部上場だし、それなりに名の知れたいわゆる大企業に勤めている中で、自分の頭のどこにもない考えだった。

でも僕の心のどこかに響いたんだろう。
その日のうちに飲みに行く約束をした。

数日後、都内の居酒屋で久しぶりあった同期とは、社会人らしい話をたくさんした。

会社のこと、同期のこと、家族のこと、これからのこと、社会のこと(年金だとか、時代の流れとか、そんなこと)。

僕も結婚をして、一家の大黒柱になったという気負いがあったから、
妻のこと、これから生まれてくるだろう子供のことをたくさん話した。

「結婚して、妻を幸せにしたいし、将来子どもも幸せにしたい。」
「でも、このままでいいのか正直不安なんだよって。」

そしたら、その同期がこう言った。

「わかる。俺もこのままじゃヤバいと思って勉強した。
そしたら、個人でやっていけるようになった。今、幸せだ。」

「もっと社会のことを勉強したほうがいいよ。
知り合いで経済セミナーやっている人いるからくれば?めっちゃわかりやすいよ?」

結論から言うと、
僕の同期はネットワークビジネス(いわゆるマルチ)をやっていた。

僕は、そのときのお誘いをきっかけに、そのグループの活動の1つである経済セミナー(要は、日本このままじゃやばいから、会社に依存していると沈没するよ?個人で稼ぐ力を身に着けるのが必須!という教育系セミナー)に参加した。

その後も、商品説明のデモ会(いかに自社商品が優れているか、時代の流れに即しているかを実物や商品実験を見ながら教育する会)や、お金の知識をつけようの会など、次から次へと誘われ、数か月、マルチ関連セミナーにどっぷり浸かる生活になっていた。

一応、僕はマルチはしていないんだけど、勉強会と称するセミナーのお誘いだけで予定が埋まる状態だった。

この時、まだ新婚1か月とか2ヵ月とか。

平日は仕事終わりにセミナー参加で、帰宅は0時前。
週末はセミナー参加でひどいときは土日両方不在。

こんな生活が2か月ほどたった日、彼女の不満が爆発した。

「だいちゃん、この生活いつまで続けるつもりなの?
まだ新婚ほやほやなのに・・。もっと新婚生活を、二人の時間を楽しみたいよ」

「私、家政婦じゃないんだよ?こんなんだったら結婚するんじゃなかった」

確かに悪いと思ったけど、僕にも僕なりの想いがあった。

それは、将来の家族を自分が守るということ。

僕にとって結婚とは覚悟だ。
一生この人を幸せにするという覚悟。

実際の結婚を機に、その責任を強く感じていた。

そして僕は知ってしまった。
少なくとも自分が変わらなければ、行動しなければ、
家族を守ることもできないかもしれないことを。

セミナーで刷り込まれていた部分も多少はあったのかもしれないが、

「将来の家族を守るため、多少今の時間を犠牲にしてでも、行動(投資)したい。」

というのが、当時の僕の想いだった。

突き詰めると、

現状維持=出口のない真っ暗なトンネルを延々と歩くような感覚を抱いていて、
このままでは決して自分の望む人生を送れない(=家族で幸せに暮らせない)という強迫観念のような思いがあって、それがものすごく怖かったんだと思う。

だから、マルチが手段の1つということはわかっていても、なにか行動を起こしたかった。
その一方で、それほどの想いでとった行動を非難されること自体が、今度は自分自身を否定されているようで、悲しくて、悲しくて、耐えられないほど辛かった。

一方で、妻の想いも理解できた。

「新婚だからこそ、お互いのこと、子どものこと、将来のことを、もっともっと時間を重ねて大切に育んでいきたい。」

「大切な人が側に入れくれさえいれば、他になにもいらない。」

「自分にとって一番大切な人と同じ方向をみて、今という同じ時間を大切に生きていきたい。」

これが妻の想いだった。

だから、議論はめちゃくちゃに荒れた。

そりゃそうだ。
主張が真逆だから。

お互い一歩も引かず、思いの丈をぶつけ合った。

むき出しの感情で相手の心を削っていく。

家族の将来のために、今を犠牲にしようとする僕と、
家族の将来のために、今を大切にしようとする妻と。

激しい議論の末、妻が聞いた。

「私とマルチどっちが大事なの?」

(家族のためだといずれわかってくれると信じているから、)
「マルチ」
と、僕は答えてしまった。

「そう」
と、一言だけつぶやいた妻は、
その日以降、笑わなくなった。

衝突を繰り返す日々の中で、失われたのは信頼と心

あれから3ヵ月。

ことあるごとに意見はぶつかり、
結局議論は僕の活動に波及し、
それでいて、肝心なところはいつも平行線で終わっていた。

終わりのみえない消耗戦で互いに傷つける日々。
普段の会話もお互いに感情がなく、無機質。

もはやなんのために一緒にいるのかもわからなくなってきた。

この3ヵ月は僕としても大変だった。

妻は身近な友達に相談もするし、
僕の両親にも相談するしで、両親も家にきて口論が始まる始末。
けど、そこまでされても、僕の意志は変わらなかった。

家族のために行動する。

なのに、
「どうして妻は理解してくれないんだろう」、と。

そんなある日、また喧嘩した。

その流れで妻が出ていくと言い出した。

「もう一人暮らし用のアパートも見つけた。」
「これ以上、だいちゃんと同じ空間に居たくない。」
「こんなことになるなら結婚なんてしなかった。」
「今を大切にできない人に将来も大切にできるとは思えない。」
「そんな人と一緒に生きていくことはできないし、もちろん一緒に居たくない。」

こんなことを言われたように思う。

あまりに本気の形相に、気圧され、僕は必死で引き留めた。
引き留めつつ、自然と涙がこぼれてきた。

「なにやってんだろうなぁ・・」

「家族のためだったのになぁ・・・」

家族のためを想ってなのに、どうしてこんなことになるんだろう。
どうしてお互いに傷つけあわないといけないんだろう。
僕たちは、愛し合って結婚したはずなのに。

一生の幸せにすると誓った人に、
理解されず、否定され、あげく拒否されるなんて。
涙が止まらなかった。

見ると妻も号泣していた。

「あぁ、理解できず、受け入れられず、傷ついていたのは、妻も全く同じだったんだ」と、
そのとき気づいた。

まったく同じことを相手にしていたのだ。

僕の最愛の人に。

かける言葉も、伝える言葉も見つけられないまま、
夜中の3時まで玄関で2人号泣した。

改めて自分の心と向き合い、導きだした結論

それからも自分の気持ちを整理するのに、どうしても時間が必要だった。

妻の言葉を頭の中で何度も反芻しながら、考えて、考えて、考えた。

まず、お互いのビジョンは同じだった。

「大切なひとを大切にして生きていきたい。」

これはいい。

次に、なぜ、これほどまで対立するのか?

理由はアプローチが真逆だったから。

将来のために今を犠牲にするのもいとわない僕と、
将来のために今を大切にすることが絶対条件な妻。

そんな僕の結論は、妻を大切にすることだった。

夫婦の数だけ、答えはあると思うけど、
僕たち2人にとっては、これが唯一の答えだ。

なぜなら、
将来に焦点をおいた僕の主張は、今の家族の関係性が良好であることを前提とする。

だから、もし今仮に離婚でもしようものなら、将来もくそもないのだ。

そして僕が生涯一緒にいたい相手は、妻以外にはありえない

改めて、妻と話し合いの場をもうけ、
・マルチの関係者と連絡を取らないこと
・怪しいセミナーにはいかないこと
を約束した。

そして、これまでのことを謝った。

妻は、受け入れてくれた。

少し気持ちの整理に時間がかかるだろうし、
信頼も一度崩れたから、積み上げるのに時間はかかるけど、って言葉を付け足しながら。

一区切りがついた瞬間だった。

長い長い、辛くて終わりのない日々だったが、ここまで約半年。
身も心も疲れ果て、大切なものさえ失いかけた半年だった。

どん底を経験した僕たち夫婦が手に入れたもの

どんなことでもそうだけど、過去の出来事は変えられない。
そして出来事自体に意味はなく、解釈することではじめて意味をもつ。

だから、僕は次のとおりに解釈している。

僕自身の至らない点は多々あったけど、今回の件で得たものは大きいと。
改めて挙げるとすると、次の3つになるかなと思う。

1つ目は、

お互いの価値観を深く理解することができたこと。

妻が何を大切にしたいと思っているか、
僕が何を大切にしたいと思っているか、

そういう相手の心の深いところをさらけ出しあい、ぶつかり合う経験はそうできるものじゃない。

2つ目は、
自分の内面を深く理解できたこと。

自分自身の「家族を大切にして守る」という想いは、
一番身近な妻を大切にすることから始まるということに気づくことができたのも、今回だからこそだった。

そして3つ目は、
「大切なひとを大切にする」という人生の気づきを得たこと。

僕にとっては、愛する妻を大切にすることがなにより重要なことなんだと、今回の件を通して気づくことができた。

もう、2度と妻にあんな涙は流させない

妻と過ごす時間が増えてから、
たくさん会話もするようになり、妻にも笑顔が戻った。

ギスギスして無機質だった生活が嘘のようで、
心身ともに満ち足りた生活を送ることができた。

幸せってこんな身近にあったんだなぁって心底思った。

失いかけた生活だったからこそ、そのありがたみがわかる。

今の生活を失わないよう、必死で声を上げ続けてくれた妻には、感謝しかない。

僕の妻は、
生きる上で大切なことを知っていて、
身近な人を笑顔にしたいという優しさでできていて、
それでいて自分の信念を決して曲げない芯の強い女性だ。

この人に巡り会えたこと、こんな僕の隣にいてくれることは、
僕の人生にとって一番の幸運なんだと思っている。

答えはすでに自分の中にある。あとは気づくだけ

僕は自分の幸せを外側に求めていた。

どうすれば自分は幸せになれるのか、
そのためにどう行動すればいいのか。

SNSやネット上に出回っている情報の多くは、稼ぐことに焦点を当てている。

けど、稼いだら自分は幸せになれるのか?と問うと、
おそらくクリティカルではないと思う。

確かに、生活は豊かになるだろうし、歯車のように働かなくていいかもしれない。
けど、その結果、幸せになれるかといえば、僕はなれなかったと断定できる。

結局たどり着いたのは、

幸せの定義って、自分の内側にあるものだということ。

僕の場合は、大切なひとが喜んでくれていたら幸せなんだということだった。

気付いてしまえば、こんな身近に幸せってあるんだなーって感覚だけど、
気付くまでは、一生かかっても見つかる気もしなかった。

そして一連の出来事を振り返ると、
僕の想いも、妻の想いも間違っているのではなくて、
その形に合わせながらベストな道を選ぶのが必要があったと思う。

僕ら夫婦の場合は、まずは大切なひとを大切にする(=妻の想い)、
その上で、大切なひとを守れるようにする(=僕の想い)

これが、僕たち夫婦の答え

今では妻も、家族の時間を大切にしている前提で、
僕が家族を守るために勉強をして、行動をして、挑戦することを応援してくれている。

そしてもちろん、世の中にはいろんなパートナーシップの形があっていい。

人が2人もあつまれば、いろんな形の組み合わせがあって、無限の答えがあると思う。

ただ1つだけ忘れてはいけないことがあるとすれば、
「大切なひとを大切にすること」

その想い1つ心にとどめて、相手と向き合えばいいんだよって、
今の僕ならそう言える。

これから僕が実現したいことは、大切なひとを大切にする世界

この経験が僕の原体験となった。

当時は自分自身にどれほどの影響を与えているのかなんて、
皆目見当もつかなかったけど、
多くの人と話し、自分の言動を振り返ってみると、
僕の思考を変えてくれたんだって気づいた。

僕の好きな言葉にこんなのがある。

思考に気をつけなさい。思考はいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい。言葉はいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい。行動はいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい。習慣はいつかあなたの人生になるから。

引用:『マザーテレサの言葉』

僕は、大切なひとを大切にしようと思考が変わったことで、
「ありがとう」、「楽しい」、「嬉しい」、「好きだよ」、「愛してる」etc.の言葉が、
自然とあふれてくるようになった。

素直な気持ちを伝えて相手が喜んでくれるところをみると、もっと嬉しくなって、
今度は手紙を書いたり、サプライズでプレゼントをしたり、一緒にアルバムを作ったり、
今という2人の時間を大切にする行動が増えた。

そうすると感謝の言葉も、今を楽しむ行動も、
知らず知らずのうちに日常に溶け込んで、
素直な言葉で互いを思いやり、素直に互いを愛しあう、そんな温かい家庭ができた。

これが続けばそれだけで、大満足な人生になるなぁと思う。

思考が変われば人生が変わる。

自分がそうだったから、本気で確信している。

そして思考を変えるのは身をおく環境。

大切なひとを大切にしたいと望むのなら、
大切なひとを大切にする人たちと出会うこと。

そして、その想いに触れて、
自分の想いの解像度を上げていくこと。

そうすれば想いの熱量は大きくなるし、
自分の想いも実現できる。

だからこそ僕は、
大切なひとを大切にするきっかけを作りたいし、
同じ想いをもっている仲間と出会いたい。

その先に待っているのは、
それぞれの大切なひとが笑っている優しい世界だから。

さらにその先には、日本中が、いや世界中だってハッピーであふれると思うんだ。

僕たちの子供の時代には、そんな世界を見せてやりたい。

結構本気でこんな想いを抱いていたりする。

まだ何者でもない僕が、
これからどこまで歩んでいけるかなんて全くわからないけど、
同じ想いをもっている仲間と、
同じ方向に一緒に歩んでいけたら、
きっと遠くまでいけると信じてる。

ここまで読み進めてくれたあなたは、もう僕の仲間(と勝手に思っている)。

ぜひこれからあなたの想いも、日常の小さな幸せも教えてくれたら嬉しい。
それは僕や、同じ想いをもった誰かの元気につながるから。

大切にするとは最大限のギブを捧げること

「大切にするって具体的にどうすることかイマイチつかめない」って人もいると思う。

ぼくだってそうだった。

そもそも僕はテイクばっかりで、何かを意図的にしてあげること(=ギブ)は少なかった。

でも妻の行動を振り返ってみて、
彼女の深い愛情がギブという形で表れていたことに気づいたんだ。

例えば、

手書きのメッセージをくれる。
お風呂いれて待っててくれる。
晩御飯を作って待っていていくれる。
ぎゅってしてくれる。
かっこいいねって言ってくれる。
ありがとうって言ってくれる。
僕を笑わせてくれる。etc.

メッセージはちょっと置いておくとして、結構当たり前のことが多いと気づく。

ポイントは、この当たり前のことを見返りを求めずに、
ただただ相手のためを想って行動できるか。

そして、してもらった側は、自分のためを想ってくれた相手の行動の意図を汲んで、
「ありがとう」ときちんと言えるか。

ただそれだけのこと。
それに気づけば自分の行動もギブできる。

「愛は技術である」と、フロムは言った。

その意図は、
恋のように勝手に落ちているものではなく、
愛は自分が相手にギブすることを通して育まれていくもの。
そして、ギブは訓練できる能力(=技術)なんだということ。

またフロムはこうも言っている。

未熟な愛は言う、
「愛してるよ、君が必要だから」と。

成熟した愛は言う、
「君が必要だよ、愛してるから」と。

引用:『愛するということ』(原著:The Art of Loving)

成熟した愛の前提条件として、自立していることも忘れてはいけない。
相手に依存する愛は、見返りを求める未熟な愛だ。

人を愛することは誰でもできる。今からでもできる。

大切なことは、「大切なひとを想って行動する」こと。

何気ないちょっとした言葉や行動って、実はとっても嬉しいものなのだ。

そして喜んでいる相手をみると、もっとしてあげたいって思えてくる。
逆に相手も、何かギブを返したいって思ってくる。

だから自然とギブの応酬が続くし、その結果、ギブ以上のリターンが返ってくる。

構図でいうとこんな感じ。

ギブする ➜ ギブ返ってくる ➜ もっとギブする ➜ もっとギブ返ってくる ➜ 以下、エンドレス

僕はこれをギブのスパイラルアップと呼んでいる。

ここまでくれば極めて理想的なパートナーシップが構築できているはず。
僕たち夫婦の実体験から、このスパイラルアップの過程で愛が育まれていくのだと思う。

ちなみにこれ、「控えめにいっても最高です」と声を大にして伝えたい。

最後に、同じ想いを抱く仲間たちへ

ここまで読み進めてくれて本当にありがとうございます。

もはやあなたは仲間です。

僕はこれからも、
「大切なひとを大切にする」
そんな想いをもった人とたくさん知り合いたいし、
それぞれの想いをぜひ聞いてみたい。

そして僕自身も、まだまだ自分の想いをお伝えしていきたい。

そう思っています。

だからTwitterなどで絡んでくれたらとっても嬉しいです。(こちら

最後に、時間という有限の資産をつかって最後まで読んでいただいて、
本当にありがとうございました。

「大切なひとを大切に」

この言葉を胸に、またいつかどこかで会えることを願っています。

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だい
妻大好きな1児のパパ / 妻を大切にしたら人生変わった / 世界で最小単位のコミュニティ”夫婦 ”のパートナーシップを大切に /大切なひとを大切にする暮らしについて発信 / 夢は子供5人の7人家族で仲良くにぎやかに過ごすこと